かつて『うみねこのなく頃に』に失望した人への贈り物 ~漫画版EP8の感想~

夏海ケイ先生によるコミック版「うみねこのなく頃に」EP8読了しました。

PS3版で全然納得できないEP8の展開に失望したのが、僕

竜騎士07氏のあとがきによると、漫画版EP8は「最後の答え合わせ」という立ち位置で、全てのヒントも答えもここにあるとのこと。

かつて原作に不満を持った読者の理由には色々な観点や程度があったと思います。ミステリーとしての是非やフェア・アンフェア論、物語としてのテーマ性や登場人物への共感、謎のままに残した事柄に作品外での作者の発言etc…

作品の趣旨・趣向や多少の無理・矛盾というモノに対して自分はそこそこ寛容な方だと思っていますが、どうしても理解できなくて色々と批判的なことを書きました。

夏海先生のEP8には、自分にとって「うみねこのなく頃に」を作品未満にしていた問題への答えがしっかりと描かれていました。

特に、原作で語られなかった核心を綴った6巻は素晴らしく、この巻を読むだけでも本作品への印象はだいぶ変化するはず。紙媒体は希少状態のようなので、ゲーム版のみプレイ済の方は電子書籍でも是非読んでみることをおすすめできます。

ただし漫画版の出来が素晴らしく、「原作に足りなかったモノ」をはっきりと自覚できるようになって感じたことは夏海先生のうみねこ愛への感謝であって、原作での作者の趣向への理解では決してなく、むしろ不完全なモノを読んだという感覚が強まったことは述べておきます。

よって、以下内容を踏まえた感想ですが、割と作者への批判的な記述は多くなるとおもいますので注意です。

  

Confession of the golden witch

おそらく漫画版うみねこを読む最大の理由となり得るのが、6巻で描かれた「空白の2年間」である Confession of the golden witch と、縁寿が未来を生きるようになった心変わりの理由 しがらみの檻 でしょう。

この二点こそ私がどうしても理解できなかった問題だったのですが、まさか一冊でどちらも解消されるとは・・・

魔女の自白ではベアトリーチェの犯行動機が詳細に明かされましたね。

幼戦人のワイダニットを重視するミステリー論に則るならば、①殺すに値する充分な心の動きを描いた作品、②そしてそれを推理させてくれる作品、という条件を本作品は満たしているはずです。

②については「推理する対象としている」という意味では当てはまりますが、推理可能かという点では議論の余地あり。

そもそも、推理可能という場合には二通りの意味があると考えています。一つは「推理不可能ではないよ」という意味での推理可能、もう一方は「全ての情報から必ず真実に至れる」という意味です。(現実には二元ではなく程度による直線上に存在しますが)

例を挙げるなら、前者は碑文の謎で後者はベルンカステルのミステリーになります。

人の心というものを対象としている時点で後者は満たし難いでしょうし、推測を一切介さずに推理できるミステリー作品など相当珍しいでしょう。

それでも、ワイダニットを主眼においた作品ではそのことが問題となり得ると考えます。

ミステリーを読む際にきっと多くの読者は、犯人と方法が明かされ動機が語られた時点で、犯人への同情や共感はできるか・事件の規模や残虐性に見合う理由であったか、といったことを考える営みを挟みますよね。

もし犯人の告白がないと、読者は犯人の心情を想像して、正しい保証もない動機に対して是非を問わなければなりません。それは、…楽しい話…? まさか あるいは、たとえ正しい答えに至っても自分が同意できない場合、それは正解ではないという思考だってありえます。

言うまでもなく、十人以上の人間を巻き込んだ無理心中というのは大事件です。

犯人は狂気を持っているから犯人であると考える私には魔女の自白は十分に納得できるものでしたが、その理解は犯人が自ら吐露したから受容的に得られたものですし、理解できないと感じた人も間違いなく・少なからず存在したはず。そういう人にとっては推理不可能な作品ともいえます。難易度は高め。犯人の心情の理解は困難を極めます。

理解して受け入れることと、同じ思考回路で共感できることの間には、絶望的に深いギャップがあることへの認識が欠けているように感じました。漫画版で安田紗代の告白を聞いた戦人が「よく分かんねーけど あんたはずっと苦しかったんだな」と応じていますが、これぐらいの感性が読者に期待してもよいレベルな気がします。

①については何をもって「心を描いた」とするかですね。

原作には魔女の自白がないんだから描いてねぇじゃん!

百理あると思いますが、論理的帰結として推理可能であれば間接的に描いているとはいえそうです。あるいは単にワイダニットに主眼を置いているという意味ならば問題はありませんが。

いずれにせよ、ワイダニットをテーマとしながら真相解明を行わないという困難な試みに孕む危険性が順当に発芽した結果が原作への批判なのでしょう。

しがらみの檻

実は自分が「空白の2年間」以上に許せなかったのが、EP8での縁寿の心変わりの理由が理解できなかったことです。

(一応漫画版のみ読んでいる方のために説明すると、ゲーム版では屑肉になった縁寿は黄金卿へ戻った時点で、なぜか未来を生きて自分の真実を結実することを決意しています。6巻を丸々読み飛ばした状態に近い)

なぜそこが問題かというと、この答えが「うみねこのなく頃に」という作品の主題に繋がると考えているからです。極端なことを言えばそこを語らないならEP7もEP8も必要ないとさえ思っています。

本作品では出題編はベアトから戦人への出題・メッセージ、EP5で魔女の助けを受けつつも戦人が真相に至る、EP6で戦人が魔女と成りベアトが復活!もし猫箱を明かすつもりがないなら、この時点で畳んでハッピーエンドにすればいいんです(苦情殺到)。

それができないのは縁寿という存在がいるからに他なりません、残された縁寿が生きるため・あるいは死ぬために真実を求めたから物語は続行したのです。

EP7が黄金の魔女の葬儀というのは建前です。真意は幻想のハラワタを引き摺りだすこと、真相解明への布石。そして、縁寿自身の真実に対峙する覚悟を問うもの。

EP8は過去に捕らわれ続けている縁寿に未来を生きさせるためのメッセージとあわよくば真実を知らずに生きてほしいという戦人の願い。また、最後のエピソードには作品を通じて読者に語り掛けるメッセージ・教訓があるはず、あってくれ。

魔法の白い部分と真実の黒い部分を恣意的に並べ立てることがメッセージとは考えたくもありませんし、真実の多面性などは出題編の時点から散々見てきました。

魔法の使い方だってEP4で既に縁寿も理解していますし(目的は魔女を打ち倒すためでしたが)、やはり縁寿の心の変化以外に考えられません。

さらに、物語としての必然性を通そうとすれば、そのメッセージはEP7・8で得られた情報によって補強される類のものである可能性が高い。

色々考えましたが、自分には納得できる答えがどうしても導けなかった。

物語の落としどころが視えないという不安はかなり早い段階で感じていて、だからこそすごく楽しみにしていた部分でもあったので、原作での以降の展開はずっと置いてけぼりに感じたのでした。

原作をプレイした人で縁寿の突然すぎる変化を疑問に思わなかった方っているのでしょうか?

ようやく漫画版の感想ですが、しがらみの檻で描かれたこの問いへの答えは全く文句のない相応しいものであったと思います。一話だけの短いお話ですが、大好きで何回も読み返しました。

運命の袋小路に陥った縁寿と同じ境遇のベアトリーチェが、惨劇は自身の行いに端を発することを宣言し、あらゆる希望の可能性・未来を閉ざしてしまったことの過ちを認め、一族に纏わりつく様々なしがらみとそれを忘れた皆の姿を思い出させ、生きて幸せを探すことを促す。

きちんと筋は通っているように見えます。お前が言うなとか言ってはいけない 

本作における、自分だけの真実を貫くという姿勢は「ひぐらしのなく頃に」のメッセージと喧嘩しかねないと考えていましたが、こちらをメインテーマと捉えれば解決します。

考えてみれば、ベアトリーチェが自分の罪を懺悔しないままで縁寿の心を動かそうとするというのはふざけた話ですよね。

それを雑なご都合主義で通してしまったのがゲーム版の展開だったわけです。

ただ、この場面を描くためには魔女の懺悔、すなわち自白が必要となるんですね。

作者が執筆当時の段階でどこまで構想していたのか今となってはたいした問題ではありませんが、ワイダニットを明かさないという趣旨が前提にあって、そのためにEP8全体が歪んでしまったという推察は可能です。詰んでいたのだ 初めから

そこまでして真実を閉ざしておきたかった理由は全くわかりませんが

ボトルメールの意図

だからボトルメールの1つ1つが私の罪の告白。

書かずにおれなかった私の罪の懺悔。

原作で伏せられた大きな謎の一つ、なぜ魔女のメッセージボトルは書かれたのか?

割とシンプルな答えが提示されました、理由自体はこれでも問題ないとおもいます。

ただし、メッセージボトルこそが全ての発端であり、縁寿を苦しめたことを鑑みれば、もう少し丁寧な説明か必然的な理由が用意されている方が望ましかったでしょう。

メッセージボトルを括る「これを読んだあなた、どうか真相を暴いてください。それだけが私の望みです。」という記述を文字通りに受け取るなら犯人の小さくない意思が感じられますが、これを「面白半分に投じた」という言葉で片づけた原作は恐ろしすぎるぜ…

みすてり気分で書いてしまっただけなら、面白半分で適切ですが

重要なことは、”confession” だけは立ち位置が特別ではありますが、ベアトリーチェに自身の罪を告白・懺悔する意思が僅かでも存在していたということです。

つまり、原作で猫箱が閉ざされたことは、作者がベアトリーチェの意思を汲み取った結果であるという解釈は死にました。

閉ざされた猫箱、開かれた猫箱

開かぬ猫箱、それが「うみねこのなく頃に」。 竜騎士はいいました

ゴミック版で得られた情報も合わせて、なぜあのような形で原作のEP8が終わったのかを想像します。

ここでは、「一なる真実」と「空白の2年間」の二点について取り上げましょう。これらは個別に分けて考えましょう

本作において猫箱を閉ざすことの理由として考えられるのは、①ベアトリーチェのため、②縁寿のため、③作者の意思、これ以外ありません。多分

また、あとがきで「EP8は縁寿を幸せにするための物語」と作者が明言しましたからこれも念頭に置いておきます。

まず、「一なる真実」については縁寿のためと考えるのが自然です。

黄金の真実を手に入れたとはいえ、叶うのであれば他の誰にも真相は閉ざされている方が縁寿の精神衛生上よろしいというのは理解できます。

ただ、私たち読者と山羊さんたちは存在する次元が異なるわけですが、真実を知ってはいけなかったという点では同じです。だとすれば、縁寿にとっては読者も排除すべき観測者だったことになりますし、山羊と自分の違いを見いだせない読者が地理のように切り刻まれて怒る気持ちも至極当然でしょう。

こうもはっきりと読者と登場人物の間に線引きを行って、読者が主人公に仇なす立ち位置であるかのような印象を持たせては、本作に取り組んだこと自体が間違いだったとさえ感じてしまいかねないですよね。

「空白の2年間」は消去法で作者の意思です。

縁寿のためというのはありえません。魔女の自白こそが縁寿の未来を開く「しがらみの檻」に繋がるからです。ベアトリーチェの願いであるなら”confession”がボトルメールとして存在しているのはおかしい。

また、ウィルの言葉を借りると「人間は誰しも自分だけの真実を持つ。それは、罪を犯した時にのみ暴かれる」。犯人の真実を暴かないことは倫理とか道徳的なメッセージを伝えるモノでもありません。

したがって、作者の「ワイダニットを推理させる物語を書いて、答えを明かさずに推理し続けてもらいたい」という願いが根幹の理由であると考えられます。

この試み自体が相当なリスクを伴うことは先述した通り

作者批判

でも、猫箱はいつか開かれなければならないと思いました。
開かない箱ならばそれは箱ではないからです。

猫箱の中身を追い求めてきた皆さんが、最後に辿り着く場所が、漫画版EP8のラストだということに気付いたのです。

漫画版EP8のあとがきより

これまで作品外での作者の発言などを批判の対象とすることは避けていました。おもしろいことでもありませんし、思想は作品で語るべきだと考えているからです。

ただし、コミック版にはあとがきがありますので、そこだけは揚げ足を取りましょう。

どちらも漫画版で猫箱を開くことを決意した理由として書かれています。

前者については口汚いですが、くだらん言葉遊びはやめろといいたい

開かない猫箱としての作品を目指した以上、そもそも猫箱という呼称の方が不適切なのですから、訂正するならそちらの方でしょう。

こちらについては何の説明にもなっていない不誠実な駄文です。

後者は理由のようにはなっていますが、ただただ悲しい

「うみねこのなく頃に」は数年の期間をかけて多くの人に読まれた作品ですよね。

当時の考察サイトなどを巡ると読者の熱意や考察量に驚かされます。

彼らが最後に辿り着いた場所は原作のEP8ではないのか…

それでもEP8の不出来さは抜きにして、猫箱を開かないという姿勢を取り続けたならば彼らの顔も立つし、筋も通ります。

「うみねこ」を語る最後のメディアになるからという理由が述べられていましたが、結局「最後」には明かしてもいいことを、原作では明かしてはいけない理由がわかりません。

そもそも、原作EP8で失望せずに推理を続けてきた読者は、開かない猫箱である作品に面白さを見出しているのだから、真相解明をする必要がないような

結論、猫箱を閉ざすこと自体に特別なテーマ性があったわけではない。その方が面白いだろうとか、長く楽しんでもらえるだろうといった類の理由によると考えられる。

まとめ

夏海先生のEP8は本当に素晴らしかったです。

もし、ゲーム版がこれに準ずる物語であったら、仮に6巻の内容が収録されていただけでも本作品は私には楽しい想い出になっていたでしょうから残念でなりません。

漫画という媒体であることも一因にあるでしょうが、クイズ大会に代わるかくれんぼや、戦人とエリカの再戦、山羊の推理のクオリティなど、細かな改善点も非常に多かった。

かくれんぼでの真里亞と楼座のお話はちょちょぎれました、あれって惨劇がなければ起こり得た未来なんですよね。手遅れになってしまうことも世の中にはたくさんありますが、未来を生きて幸せを探すというテーマには非常に納得です。

振り返ってみれば原作において魔女の告白を間引いたことが、まるでしがらみの檻のようにEP8を歪めてしまっていることが強く感じられます。その試みを正当化するための言い訳のようなものをEP8全体をかけて見せられていたような印象。

漫画版を読み終えた時点で何も考えることがなくなるような作品だったとも思わないんですけどね、世界構造とか本当に複雑だとおもいますし。

「愛があれば視える」ことは「愛がなければ視えなくてもいい」ことの理由にはならないということは主張しておきます。ラブレターには…

漫画版の内容を加筆修正して原作を購入した人に配布しろと無茶苦茶を言いたくなるくらいEP8に相応しい内容でした。

夏海ケイ先生に感謝

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コメント

  1. ラスタリカ より:

    今更ですが、検索でたどり着きまして楽しく読ませていただきました。

    自分は漫画版は未読でしたが、原作と考察サイトによって既に答えを得ていて、十分納得のいく形で終えていたので、漫画版で再評価された事には嬉しく感じております。

    漫画版は結局、紗音が犯行計画を練っていたこと、実際に犯行を起こすつもりだったということを確定させてしまっているようで、それが”罪”として書かれているようで逆に自分では別の解釈を残すという余地を完全に消してしまったと思います。

    うみねこ原作で読者離れを起こし、完全に失敗作とされたうみねこですが、あくまで自分の考えでは様々な可能性の余地を残しておくことは大切だったのではないかと考えているのです。

    原作では明確な答えを示していません。考察すれば答えに行きつくことは十分可能ですが、それでも別の解釈も可能な終わり方だったと思っています。

    例えば作中で途中で出てきたように、「六軒島はただの偶然の爆発事故で、事件なんて何もなかった」「ボトルメールは紗音が戦人に読ませようと思って書いていた小説を気まぐれで流していただけ(紗音は戦人との恋の未練を捨てきれてないが、譲二と婚約したらもうその恋はかなえられないので、ボトルメッセージで自分の気持ちを流したという解釈)」など、色々な可能性を残しているわけです。

    そこに、「これが真実」と答えを示してしまうと、こういう解釈は霧散して消えてしまうわけなので、作者が答えを出すのを渋るというのも納得できるのです。

    これがひぐらしのように明確に犯人が決まっており、その犯行動機を明確に伝えることで幕を閉じる物語なら真相も必要でしょうが、うみねこはもともと猫箱に閉じた世界で、現実では何が真実か真相かは、個人に委ねられるという作品の特性上、「答えはこれで犯人はこれだからこれが真相」というのはやはり乱暴に感じてしまいます。

    しかもこれは本当に悲劇の物語で誰も救われない物語で、人生に辛い事ばかりの縁寿が一人で生きるというテーマの悲しい物語です。(ひぐらしのような喜劇的な終わり方ではない)

    縁寿の心変わりの部分も、縁寿には二つの願望があり、一つは六軒島の真相を探る事。もう一つは家族との再会です。

    ep8偽書中の縁寿は、家族との再会をあきらめ、真実の書を開き、真相に絶望したことでビルから飛び降りるというメッセージ。

    幻想郷では、家族の愛を感じ、本当の真実を受け入れて死ぬよりも、家族の愛を思って白き魔法で生きる道を示すというメッセージです。

    この二つのメッセージを提示して、縁寿により良い方向を選ばせるために最後に、「手品」「魔法」の選択肢を縁寿自らに選ばせ、それによって真実を追って死ぬ最後か、魔法を信じ偽書作家になる未来が用意されるわけです。

    (生きていても縁寿には莫大な資産が残されており、ep8で散々語られるように世間からはバッシングを受け、命すら狙われるので縁寿が死を選ぶ可能性が非常に高い。)

    なのでここの縁寿は心変わりのシーンではなく、二つの可能性のどちらを選ぶかという、偽書の執筆者によるメッセージだという風に思っています。

    竜騎士さんが、最後の媒体である以上真実をというのも、それまでは、あらゆる可能性を残したかったという事でしょう。

    ひぐらしのスタッフルームでも、「真実を明かすことで無限の可能性の世界が急速に収束してしまうので悩みました。」というような感じのコメントを残しています。

    うみねこでは、その無限の可能性を残す余地を極限まで広げておきたかったのでしょう。結果的に読者離れを引き起こしてしまいましたが、あくまで同人。どのような作品を作るかは作者の自由です。

    そしてそれによって、作品の解釈を楽しむということも”漫画版の答え合わせ”をするまでは楽しめたということも言えると思います。

    ちょっとつっかかる感じになってしまって申し訳ないのですが、自分の考えと違ったので、ちょっと自分の考えも述べて見たくてコメントしてみました。

    長文でお見苦しいと思いますが、あくまで自分の感想ということで留意していただければ嬉しいです。

    • thanksorange より:

      頂いたコメントを反芻しながらうみねこを想い返している途中での返信ですが

      偽書が縁寿の二通りの未来の可能性を提示しているというのは自分も同意です。ただ、辛い事ばかりな原作における現実世界の縁寿が「魔法」の選択をする姿がどうしても想像できず、(起こりえないことは可能性ではないとおもうので)どういう出来事・情報があれば縁寿は未来に向かっていけるのかという、縁寿自身や読者に対する「説得力」のようなものを自分は求めていたのだと思います。
      メッセージが誰から(偽書の作者・竜騎士氏)誰に(縁寿・山羊・読者)向けたものかというのは色々な解釈がありそうですが、この「説得力」を伴わないメッセージは受け手のためではなく書き手側の都合や自己満足といった印象が強くなり、漫画版でベアトに叩き切られてしまいましたが「戦人犯人説」を生み出す要因にもなったのかなと考えたりしました。また、述べられた本作が内に閉じた世界の作品ということとも結びついて、読者側の疎外感にもつながっているのかもしれません。

      感想や解釈を交わす相手が周囲にいないので他人の意見、特に自分とは違う観点を貰えたのはすごく面白かったです!コメントありがとうございました。

  2. ラスタリカ より:

    ご返信ありがとうございます。

    魔法を選択する説得力ですか・・・なるほど。
    多分自分はそれは、縁寿の家族の愛とか、周りが言う未来に塗りつぶされた真実よりも大事なことがあるということを縁寿(及びプレイヤー)がどう受け止めたかってことだと思います。

    EP8も結局偽書で、あくまでその偽書を読んで縁寿がどう判断するかという話なんだと思うんですよね。
    だから最後にP8を読んだ縁寿とプレイヤーが一緒に「手品」か「魔法」の選択をするのだと思います。

    つまり書き手はあくまで説得するのが目的ではなく、縁寿に生きてほしい。でも、真実を求めることも否定しない。最後は縁寿の判断に任せるという形になるので、そもそも説得は必要ないのかなという認識でした。
    つらい現実でも、それでも「白き魔法をつかって」生きていく選択をするかどうかは、EP8を含め今までのエピソードを読んだ縁寿の判断に委ねたのだと。

    ただ、手品エンドで真相を明かさなかったのはやはり作者のアンフェアでしょう。
    結局読者は真相に至らなければ答え合わせもできず(ep7で一応ウィルが答え合わせするので抽象的ですが真相に至ってれば答え合わせ出来ます)置いてきぼり間を食らうのは確かだったように思います。

    結局同人だから書きたいようにやりたいようにやれば結果はどうあれそれでよかったんでしょうかねぇ。(本当に読者をつなぎ留めたいと思ったならEP9でも出して真相を全部明かすとかしてもよかったのにしなかったので)