『うみねこのなく頃に』を批判する ~EP8を終えて~

長い月日をかけて読んできた「うみねこのなく頃に」もついに終わってしまいました。

結論から述べましょう、評価不可能です。
良いとか悪いとかではなく、評価できないのです。

前評判から本作品が多くの批判を受けている作品であることは知っていましたが、その理由を少なからず理解しました。

漫画では補完されている点もあるそうですが、今回はPS3版のEP8を終えた時点での感想になります。

本当は感想とか考察とか書きたかったので残念ですが、ここでは批判や疑問をボロクソに連ねます。

※当然ネタバありです

  

一なる真実

今回の物語は、一なる真実の書を知りたいと望む縁寿と、それを望まない戦人たち、という対立構造が大きな柱となっていました。

ここでの問題は大きく分けて、
①一なる真実が読者には明示されなかったことへの不満、
②そもそも真実を隠すことの意味は何かという疑問 
の二つだと思います。

まず①について、縁寿に真実を知る権利があったことに疑問の余地はありません。しかし、我々読者にはその権利は与えられませんでした。

私はこれまで、主人公と考えた戦人や縁寿ほか諸々の登場人物に移入しながら、一人のプレイヤーとして物語を読み解いてきたつもりです。

ところが、フェザリーヌの発言から、筆者は読者を「観劇者」として捉えているのではないかという疑惑が浮かびます。

真実を誤魔化される縁寿の苛立ちをあれ程描写しているのですから、プレイヤーとしての読者が同じ感情を抱き得ることを想像できないはずがありません。

つまり、物語の登場人物と読者の間に明確な線引きを行ったということが、真実を明かさないことに象徴される問題であって、以降の展開やラストに対する読者の疎外感及び感動のしにくさに結びついているのではないかと考えます。

②について、真実を知らないままに希望を持つこと、真実を知ってなお信じる力を持つこと、一体どちらが正解だったんでしょうね。

前者を願ったのが戦人でしたが、この選択は縁寿が絵羽への憎しみを断ち切れないまま生きることを意味しますよね。それって目指すべき場所として相応しいのか

そもそも、真実を知ろうが知るまいが、縁寿が過去に捕らわれている限り未来などないわけです。だとすれば、重要なことは真実を諦めさせるのではなく、いかに未来を生きてもらうかになります。

戦人の用意した最後のゲームはその目的に即した内容となっていたのに、途中から真実を明かすことへの是非が主題の如く表立っていたことに大きな違和感を感じました。

縁寿が至ったのは

真実を知りたい→戦人のゲームが理解できない→真実の書を欲す→
真実の書を読んでも受け入れられない→屑肉→黄金卿へ帰還→自分だけの真実を守る

縁寿の大まかな変遷がこんな感じだったと思いますが、解せない点は二つです。

まず、真実の書を読んだときに縁寿が真実に耐える力を持っていなかったこと。EP7でゲロカスさんが親切に試してくれたのに、ベアトリーチェに「どんな真実であっても認める真実の魔女になった」と言ったのに。

縁寿に移入しながら読んでいた自分には意味が分かりませんでした。真実に絶望して死んだのならばわかりますが、あそこで一なる真実を否定するのは理解不能。

真実を知ること自体を否定するために、意図的に縁寿を愚かに書いているように見えます。

さらに、屑肉→黄金卿の間での縁寿の変化はもっと理解できません

「一なる真実を知ったこと」以外の理由は考えにくいですが、なぜ縁寿は自分だけの真実を結実するようになったのでしょうか。そもそも、脈絡なく黄金卿に戻ってきたこと自体、筋が通っていないように見えますが。

間に入るべき出来事がそっくり抜き取られているかのような違和感、この答えも愛があれば視えるのでしょうか?

ヱリカは、真実を知ることで「どう生きるか」を変えられるといいました。激同

もし真実を知ったことが縁寿の変化の理由である場合、それを阻止しようとしていた戦人たちは道化ですし、それが明示されなかった読者には共感のしようもありません。

※追記
あまりに悲しすぎるが、黄金卿は死者の郷。一なる真実を知り絶望して死んだから縁寿が至った場所、以降の縁寿は八城十八(フェザリーヌ)が記した奇跡の物語?黄金卿では全ては記述者の自由にできるのだから縁寿の心変わりの理由などなくても構わない? だとすれば本作品は主人公と考えてきた縁寿すらも踏み台にした読者へのメッセージか

戦闘描写について

幻想卿を巡る戦いや、ラムダとベルンの決闘など多くの戦闘シーンがEP8にはありました。

エフェクト時間が長すぎてテンポが最悪という問題点はありましたが、個人的には戦闘シーン嫌いじゃないですし、ラムダとベルンの戦いは是非見たいと思っていたので嬉しかったです。

書かれるべきことが書いてあるなら問題はありませんでした。

しかし、先述している点も含めて、今回のエピソードには説明不足と思われる点が多々あり、それらを差し置いてドッタンバッタン大騒ぎするのは流石に違うでしょう。

物語上意味のある戦いならよいのですが、必然性のあるものは無かったように思います。

唯一意味を見出せるとすれば、登場人物を善と悪に分けて、「真実を守ることを善、暴くことを悪」という思想のプロパガンダをしていると捉えられるぐらいでしょうか。

山羊の皆さんは酷かったですね。「うみねこのなく頃に」をミステリーで読み解こうとした「知的強姦者」を象徴する存在でしょうが、掲げる推理がお粗末すぎる。

EP7で真相の輪郭は明かされているのに、今さら「島には右代宮家以外の何者かが潜んでいて・・・」とか、たとえ敵役であっても言わせる神経がわからない。

作品で思想を語ることは至極当然の行為ですが、そんなものを切り刻んで何を主張したいのでしょうか

ヱリカとドラノールが相対するところは辛かったです、理解し合っていたんじゃないの…

※追記
ラムダとベルンの決闘は「奇跡」を信じ続ける縁寿の「絶対」の意思、それすらも「観劇者」フェザリーヌには自由に書き換えられるという真実の多面性。山羊狩り他は真実の多面性を尊重しない観劇者への戒め?

心のない推理は、絶対に許さねェ

だったら心を見せてくれ…

結局掘り下げられた登場人物はEP7での真犯人だけですよね(真里亞も?)

黄金の真実の前には他の登場人物は全員ただの駒ですか?愛を持って視てほしかったのはそこだけなのでしょうか?過去のゲームでの各人の意図や心情は?幻想描写の意味は?トリックで勝負する作品でもないのにそこを描かないでどうするのさ…

そもそも過去のゲームは現実でない創作の物語なのだから、そこから何かを読み取ろうとすること自体が間違いなんですかね。

じゃあ何のためにメッセージボトルと偽書は必要だったのでしょう?

それすらも真犯人も戦人も語りません

いや、ベアトリーチェが「面白半分に投じた」とか言ってたっけ…

真犯人についてさえ、一番重要な事件前の2年間が全く描写されていませんし

キモとなる部分だから最終話に持ち越したのだろうと思っていました。

きっと挿入するのを忘れていたんでしょう、仕方ないなぁ・・・

ワケねェえぇええええぇええだらァあああぁアぁああああぁ!!

どういうつもりだ?共同執筆していた竜騎士幾子が亡くなってしまったのか?

もはや、EP9から「うみねこのなく頃に・解」が始まるよと言われた方が納得できるレベル。


最後の希望

上記の中にも賛否が分かれる点はあるでしょうが、①縁寿の心情の変化の説明が全く不十分なこと、②事件前の2年間の真犯人を描いていないこと(付随してメッセージボトルの意図)、これだけは理解も許容も全くできません。

前者は「うみねこのなく頃に」全体を通してのメッセージに繋がる何よりも丁寧に伝えるべき部分では?これを理解できていないことが私が本作品を評価できない理由なのだと思います。

そこを描かないことで際立つメッセージが存在するとは思えませんが、読者に何を期待しているのでしょうか。ラブレターには、次からは”好きです”と短く書くことを勧めるぜ。

また、人物の心を語らずに作品という猫箱を閉じる行為は、「義理が通らない」こと、「ゲーム盤への冒涜」と類する行いだと思います。

私がこれまで愛を持って視てきたのは作品やキャラクターであって、作者ではないということだけははっきりと申し上げたい。

※追記
作者が意図したのは、完結後も推測に推理を重ねて遊べる無限のおもちゃ箱として作品を残すこと。しかし、心を描かないままでそれを行うことは、縁寿を苛んできたような山羊を生み出してしまうかもしれない。あまりに愛のない推理を行うこともできてしまう。そこで、真実を明かすことの黒い部分を強烈に描写することで「愛を忘れるな」という読者への戒めとした、という解釈を考えました。そういった遊び方は完結前に十分に楽しみましたし、それでも心は描くべきだったと私は思いますが。

ここまで何でもかんでも読者に委ねて猫箱を閉ざしてしまった意図は何なのでしょうか?

戦人が縁寿を真実から遠ざけたのはそれが縁寿の幸せにつながると信じたからであって、真実を暴くという行為自体が邪悪であるからではありませんよね。

これまで本当に楽しかった作品の終幕としてはすこぶる納得できない結末です。

ベルンカステルのミステリーとかすごく楽しかったし、エヴァトリーチェの登場は激熱だったし、ラムダのかっこよさは胸熱だし、CS版は声優さんの演技も素晴らしかったんだけどなぁ・・

漫画版での補完が素晴らしいものであることを期待するしかないですね

どうか私の読み込みが足りないだけだと後悔させてください

キャラや設定が大好きな作品であっただけに、残念残念。残念至極!

非常に極めて実にどうしようもなく残念だ!

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